深呼吸、しんこきゅう。

大きく吸って、大きく吐いて。はい、リセット。

自分を知る事は、誰かを理解すること。

 

 

みなさま、またまた、お久しぶりです。

 

 

5月も終盤。

いよいよむわっと暑い日も増えてきて

夏が近づいているのを感じる今日この頃です。

 

なんだか、今までは感じなかった事を感じています。

夏が近づいて、植物の緑が濃くなっていく感じとか

その緑を照らす日光が少しずつ刺すようなギラギラした

強さに変わっていく感じとか。

改めて四季の移り変わりを見てるような感じがしています。

 

暑いの苦手なのよ。

だから夏も苦手。

でも、夏特有の景色は綺麗で好きかもしれない。

 

なんて思っています。

 

 

 

 

さて、このブログではよく、

「自分を知ること」について書いていたりするけれど、

最近改めて感じた事があったので

ここに書いておこうと思います。

 

 

私は、自分を楽にするために

自分を知る事が大切だと思っているけれど

みなさんはどんな風に感じているんだろう。

 

 

 

私の中で記憶に残っている言葉があります。

 

「自分を知っている分しか、人の事を分かることはできない」

 

と言われた言葉。

 

仮に私が、私自身の事を50%分かっていると思っていたとすれば

私が接する誰かの事も50%しか分からない、という事。

 

 

その時は「そうなのかなあ、、、」ぐらいの感覚で

あんまりしっくりきてなかったんです。

自分に対する理解度と、他者に対する理解度が

比例することがよく分からなかった。

 

でも、じわじわと「どうやらそうみたいだ」と。

 

 

少し自画自賛させていただくと

きっと前より私は私を知っている。

 

 

もし50%から80%まで増えれば、

人を理解できる範囲も増える。

 

そう考えると確かに、

前ほど引っかかる事がなくなったように思うのです。

 

自分では理解できないような事を言われた時、

「え、分からん!!知らん!!!私はこう思うの!!」と

心のどこかで拒否して自分の考えだけを

押し通してた部分が

「んーなるほど。一回持ち帰りますね。」

と、いう風に変わった感じ。

 

 

これは私が私を知って受け入れた分、

人のことも受け入れられるようになった。

 

自分の事を受け入れようともしなかった頃は

人の事も受け入れようとしなかった。

 

 

人を受け入れるということは

自分を受け入れる事。

 

人を否定するという事は

自分を否定しているということ。

 

 

そういうことなんだなあと、急にずんっと心にきたのです。

 

 

 

「自分を知る事」によって得られるものは

私が思うより多いのかもしれない。