深呼吸、しんこきゅう。

大きく吸って、大きく吐いて。はい、リセット。

気持ちを言葉にすること。

 

 

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すっかり春ですね。

桜が散ったかと思えば春の花がたくさん咲きだした。

 

新緑の葉が眩しいくらい明るくて、

季節が変わったことをまざまざと見せられた。

 

 

私は秋が一番好きだからなのか

暖かくなるこの時期はなんだか切ないというか

あー春きちゃった。って思う。

 

 

いや、そんなことが書きたいんじゃなかった。笑

 

 

こないだね、

 

「自分の気持ちを言葉にする」ことの大事さを

改めて実感したの。

 

この場合の「自分の気持ち」は

意見とかではなくて、

一人で抱えてしまっている悩み事、苦しい事。

 

 

言葉というのは、繊細で脆くて、強い。

 

使い方や選び方でどうとでもなるものだと思う。

 

 

ただ、「自分の気持ちを言葉にする」となると

 

・こんなことを言ったらわがままだと思われるんじゃないか

・嫌われてしまうんじゃないだろうか

・こんなこと考える自分がおかしいんだ

 

みたいな、いろんな気持ちが邪魔をして、

思いのままの言葉がでなかったりする。

 

自分の核に触れるようなことだと尚更だよね。

 

 

でもね、どんな形でも外に出す事、

アウトプットする事で少しずつ変わるよ。

 

 

誰かに話そうと思うと苦しかったり怖くなるなら

自分だけが見るノートに書きなぐってもいい。

 

 

 

私自身、前回の記事で書いた通り

最近意識が内へ内へと向いていて、

もんもんもんもんしてたんだよね。

 

そんな時に見かねた友達が

「話してよ」と言ってくれたおかげで

「自分の気持ちを言葉にする」ことができた。

 

 

ただ私の頭や心でもんもんしていたものが

言葉にすることで明確になるというか。

あ、やっぱり私こう思ってたんだな。って気付く。

 

 

この「気付き」は自分を受け入れる一歩だから。

 

 

そのために「言葉にする」ということが

大事なステップなんだと再確認できたの。

 

 

書いて文字にする、

話して音にする、

 

それが自分の視覚や聴覚をつかってもう一度入ってくる感じが

自分の気持ちを自分で認識するのにいいのかもね。

 

 

 

やっぱり私は、「言葉」が好きだなと思う。

 

 

 

 

 

 

「苦しい」「しんどい」と向き合う時。

 

 

気付かないうちにブログを書かずに一週間経ってた。笑

 

 

ここ最近の自分を振り返ってみると

どうやら「感情にどっぷり浸かる月間」みたいな感じだったかもしれない。

 

あんまりメンタル面が落ち着いてなくて

いろんな感情が湧き出てきたんだけれど

それを全部受け入れる期間。

 

なかなかにしんどかった。笑

 

 

やっと少し抜け出した証拠が、

今こうやってブログを書けているという事だと思う。

 

 

 

苦しい時って、

何かしらの課題にぶち当たってる場合もあると思う。

 

人間関係、仕事、恋愛、勉強、自分自身。

いろーーーんな課題。

 

 

それにぶち当たってもがいている時って苦しい。

 

でも苦しい時こそ向き合う。

「自分」と。

 

 

 

【許す事と見逃す事は違う】

 

どこかで見たか聞いたか忘れちゃったんだけど

あーその通りって思ったからこの言葉だけ覚えてる。

 

自分を根本的に許せる事と、

自分の内面で起こるいろんなことを見逃して

その結果気持ちが安定するのとでは、違う。

 

 

見逃した場合、安定を得られるのは一時的なものだと思うの。

悪い言い方をすれば「気休め」。

またいつかぶり返す。

 

そうやって繰り返してしまうんだよね。

 

 

 

この記事でも書いているように

見逃し続けるとどんどんふり幅が増す。

 

しわ寄せというのかな。

 

あ、でも時には「気休め」でも

見逃した方がいい時もあると思うよ。

自分と向き合う気力がない時は逃げてね。笑

 

 

 

「苦しい」と思う事も、

「しんどい」「消えてしまいたい」と思う事も、

なにも悪い事じゃないからね。

 

そんな感情が湧き出てきたら、

自分を責めるんじゃなくて

とりあえず一回受け入れてみてほしい。

 

「そっかそっか。」って。

 

 

「自分を受け入れる」というのがピンとこない場合はね、

 

私の場合はなんだけど、

自分と向き合う時の感覚としては

自分の中にいる小さい頃の自分と

対話するイメージ。

 

小さい子と話す時って口調も柔らかくなるし

小さい子に問いかけるように

「どうしてそう思うの?」「どうしたの?」って。

 

そんな感覚で自分と向き合う。

 

 

これ結構おすすめです。笑

 

 

 

感じている苦しさも、

これから先自分がもっと楽になるための課題だと思うから。

 

それと上手に向き合う方法を探していこう。

 

 

 

"感情"に値段はないけれど、でもタダでもないと思う。

 

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熊本城の桜。

もうしっかりすっかり春ですね~。

 

 

今日、はてなブログからメールが届きました。

このブログを開設して半年が経ったらしい。

 

 半年かあ、

いつの間にかそんなに経ってたかあ、としみじみしました。笑

 

 

その割にまだまだ書き方は模索しておりますが、

今後とも私が感じた事、思った事、伝えたい事、

つらつらと綴っていきたいと思います。

 

お付き合いいただければ幸いです。

 

 

では本題へ。

 

 

 

人は、物を通した向こう側の感情が欲しい。

そして感情が満たされると満足する。

 

 

誰かと会うと貰う感情のプレゼント。

 

"会う"ことで得られる"感情"はプレゼントだと思う。

 

 

安心感をくれる人、「楽しい!」という感情をくれる人、

前向きな感情をくれる人、

 

そんなポジティブな感情をくれる人には

自然と会いたくなるもの。

 

 

自分のコンディションによって会いたい人って変わらない?

 

 

落ち込んでる時、話を聴いてほしい時、おもいっきり遊びたい時、

その時その時で会いたい人が違うのは

その人から受け取る感情が違うからなんだよね。

 

何か悩みがある時しか連絡してこない人がいるとしたら

その人にとっての自分は「悩んだ時に話を聴いてほしい、落ち着く人」

なのかもしれないね。

 

 

 

 

 

でね、思ったんだよ。

 

人から受け取る感情がプレゼントだとしたら、

"くれるもの"と"ねだるもの"では違うな、って。

 

 

頂戴、って。

 

安心感頂戴、ってねだる気持ちで人に会うと

満足するまで貰おう貰おうとしてしまうんじゃないかな。

 

もう充分貰えていたとしても。

 

 

それに、もし

「こっちが求めればいつでも貰えるもんだ」

と思ってしまっていたら、

相手だっていつも同じコンディションなわけじゃないし

思ったものがもらえない事もあるかもしれない。

その結果、モヤモヤする。笑

 

それはもはやプレゼントじゃないよね。笑

 

人のエネルギーをむさぼっているようなもん。

いるよね、構いなしにむさぼってくる人。笑

 

そんな人もきっと自分の事で精一杯で

余裕がないから甘えているんだろうけれど。

 

 

きっと優しい人ほど

「求められている自分」を自分で知っているから

エネルギー不足でも、演じてしまうんだろうね。

 

 

 

 

もうね、そんなに安売りしなくていいんだよ。

 

身を削ってまで、あげなくていい。

 

そうすることで

「自分は必要とされてる」って実感を得られるかもしれないけど

それじゃあ、対価が見合わないよ。

 

大赤字です。笑

 

 

誰かが求めているものじゃなくて、

自分が求めているものに気づいてあげてね。

 

 

 

その日その日を、自分らしく、大事に。

 

 

やってきました新年度。

 

良くも悪くも一つの区切りととらえて

いろいろ切り替えて過ごそうと思います。

 

新年号も発表されて、

新しい時代がやってくるんだなあと思うと同時に

平成という時代がどんな時代だったのか考えてみたり。

 

「令和」という時代がどんな時代になるのか。

 

 

少しでも、暖かく優しい時代であればいいなあ。

 

 

新しい一日、新しい週、新しい月、新しい年、新しい時代。

 

結局毎日の積み重ねが積もり積もって一つの時代になる。

自分の人生も、積み重ね。

 

 

やる気に満ち溢れた日も

しんどくて頑張れない日も

消えてしまいたいと泣いた日も

未来の自分を作っていくんだよね。

 

 

毎日元気でいなきゃいけないわけじゃない。

落ち込んだり怒ったりする日もあって当然。

 

それでいい。

 

 

喜怒哀楽、全部を素直に感じて

素直に表現していいんだよね。

 

 

 

「時代」で考えるとなんか壮大になっちゃうから、

 

とりあえず「一日」を、自分らしく生きてみてね。