深呼吸、しんこきゅう。

大きく吸って、大きく吐いて。はい、リセット。

感情はタダじゃないんだよね。

 

 

以前、インスタに投稿したことがあった。

(今は全くもって更新してないけれども。本当にSNS苦手。)

心理学関連の事を投稿するアカウントだったのですが、ふと思い出したものがあったのでここにもう少し掘り下げて書いておこうと思い立ちました。

 

 

感情はプレゼント。

感情に値段はつけられないけれど、

あなたの感情はタダではない。

 

という事を書きました。

 

 

人の感情、

どんなものであってもそこに感情がある。

 

 

物を通して、言葉を通して、態度を通して、

感情を贈り、贈られている。

 

それは、良くも悪くも。

 

 

欲しくもない感情をなぜか受け取ってしまう。

受け取り拒否したっていいのに。

 

相手が求めているものが分かるから、

それを提供してしまう。

 

 

人はその時々で自分が欲しい感情を

くれる誰かに会いたくなる。

私が会いたいと思うその人から

私はなにかを貰っている。

 

例えば、

バカ話して笑いたい時に会いたい人には

楽しい、を貰っている。

例えば、

落ち込んだ時に会いたい人には

安心感、を貰っている。

 

それは逆も然りで。

 

 

私が人間関係に疲れた時、

そこを見つめるようにしている。

 

私はこの人になにを貰っているんだろう?

何が欲しくてこの人と会っているんだろう?

この人は私に何を求めているんだろう?

私に会いたいと思ってくれる時、

それはどんな時だろう?

私はこの人の感情をありがたく受け取って

いただろうか?

ひたすらに奪っていなかっただろうか?

 

そして気づく。

 

あ、私が勝手に求めてるだけじゃん。

相談があるときにしか連絡してこないじゃん。

って思ってたあの人が

悩んだ時に連絡をくれるのは

私には話せるっていうことじゃん。と。

 

その人のことが大切で、

私にとってかけがえのない人でも

欲しい感情を貰えなかったとき、

どうしても寂しくなる。

 

それと反対に搾取され続けると

どうやったってエネルギーが削られる。

 

これを物質的に例えるなら、

奢り続けて金欠状態、みたいなもん。

 

別にいやいや奢ったわけでもない、

ただ、積み重なって気づいたときには

あれ??お金ない?!?!ってなる。

 

それは感情にも当てはまると私は思う。

 

相手が求めているものが分かるからこそ

その感情をプレゼントする。

でもそれは"プレゼント"であって

"無料配布"ではないんだよ。

 

見返りを求めろ!!ということではなくて、

求められたからといって

いつでもなんでも贈る必要はない、ということなの。

 

目に見えないから、触れないから、

貰っている感覚も贈っている感覚も

ないのだけど。

 

 

 

感情の安売りをしないでほしいの。

 

 

思っている以上に、

誰かに贈る感情には価値があるよ。

 

 

 

できること、できないこと。

 

 

私にはできないことがたくさんある。

人と比べてしまえば、できないことばかり。

 

私ができないことをできる誰かを見ては

なんで私はそんなふうにできないんだ、って

自分を"できないやつ認定"してたな。

 

そういう人は世の中に多いんじゃないかしら、とも思う。

 

自分を"できないやつ"だと思っている人。

 

 

私はこうやって文字にするのは好きだけれど、

話すことは苦手だし、

頭でっかちで行動するのは遅いし、

 

面白い人は大好きだし憧れるけれど

私は面白い事は言えないし、できない。

 

他にもたくさんあるけれど、

でもまあ、いっか。と今は思う。

 

 

できないことも多いけれど、

できることもあるんだから。

 

できることなんかないよ、って

思う人もいるかもしれない。

でもね、それはあなたが気付いてないだけなんだよ。

 

あなたにとってはなんてことない、

普通にやっていること、言っていること、

そんな事が誰かにとってはできないこと。

 

 

できることはそこら中に転がっている。

 

部屋にあるリモコンのように

あって当然なものは当たり前に

毎日触っていても、

うん!今日もある!!なんて

いちいち確認しないでしょう?

 

そういうことなのよ(?)

 

あなたができることは、

あなたにとって当たり前すぎて

それが特別だと

微塵も思わないだけなの。

 

本当は、息を吐くようにできることをやっているの。

 

 

でも、人と比べてしまうと

できないことばかりが気になってしまう。

 

そうよね、そういうもんだよね。

 

 

私はね、"できる" "できない"に分けないことにしたの。

 

ただ、"違う"。

 

それだけのことだと。

 

あの人ができる何かを私ができないとしても、

それは劣っているんじゃない。

 

 

あの人はあれが得意、

私はそれが苦手。

 

あの人はあれが苦手、

私はそれが得意。

 

"違う"だけ。

 

 

それだけ。

 

 

そう思ってみるのはどうかな??

 

 

 

 

一ヶ月ぶりの独り言。

 

 

一ヶ月ぶり。ただの独り言。

 

この一ヶ月ずっっと体調が悪かった。

そして思い出した。

鬱だと診断される数ヶ月前から

謎の体調不良に襲われていた事。

 

あー、それだ、と思った。

そういえば最近なにかに疲れていて、

なにかに追われている気がして、

苦しかったな、

ごめんね、私よ。

また気付いてあげられなかったね。

 

 

心と身体は繋がっている、と

本当に思う。

病は気からとはよく言ったもんだ。

 

 

自分で自分を追い込んでどうする。

いつもそう思う。

大切な人が自分を追い込んでいたら

私は、「そんなに追い込まないで」と言うのに。

自分に言うのは忘れるんだから。

ふざけ散らかしてるわ。

 

 

だいたい、

自分を甘やかすな、とか

自分に厳しくしろ、とか

なに??

なにそれ????

 

誰の基準???

世間一般とか世間体とかそういうの??

え??

 

いや、わりと自分で決めてるよな。

むしろそれを自分に強要してる節あるよな。

 

「普通」はこうだから、

これじゃ自分を甘やかしてるだけだ。とか。

思っちゃってるの自分なんだよな。

 

 

誰も普通じゃないのに。

普通の人ってどんな人のことを

言うんだろうって結構長いこと思ってるけど、

ずっっと分からない。

 

私にとっては

誰も普通じゃないんだから

私だって普通じゃない。

誰かの普通は、私の普通とは違うし、

私の普通は、誰かの普通じゃない。

 

「あの人」は「あの人」だし、

「私」は「私」だし、

決して「普通の人」ではない。

 

そんな名無しみたいな括り方あるかい。

それこそふざけ散らかしてるわ。

 

 

だからもはや

「普通」はこうだから、みたいな

常識もどきは適用されるほうが

おかしいのでは??

 

これも私が私に都合良いように

考えているだけかしら。

 

 

えー、もうそれでいいじゃん。

私が私都合でなかったら、

誰の都合で私は生きてんだよ。

 

 

私がしんどいと思ったらしんどいし、

休みたいと思ったら休むし、

頑張りたくなったら勝手に頑張るし、

 

それを自分が許せなかったら

元も子もないんだわ。

 

 

うん、そう。

 

 

 

ほどほどに。ほどほどに。

 

 

私の周りの人たちは、

よく「頑張る」と言います。

 

私はその人たちに、

よく「ほどほどに」と言います。

 

多分もう周りの方々の

耳にタコができるくらい言ってる。笑

おこがましくも、その人たちの

おまじないみたいになればいいなと

企んでいたりもする。笑

 

 

その「頑張る」がとてもポジティブな

ものであればいいのだけれど、

どうしても自分に言い聞かせているように

聞こえてしまう。

 

「頑張りたい」じゃなくて

「頑張らなきゃいけないんだ」と。

 

いや、いつも迷うの。

頑張ることは悪ではないんだから。

 

 

でも、

こちらが「頑張れ」って言うのも

こちらが「頑張らなくていい」って言うのも

どちらも違う気がして。

 

だから「ほどほどに」とか

「ゆるっとふわっとね」とか

そういう事しか言えない。

 

私だったら

「頑張れ」って言われたら

「頑張ってるけど?!?!」ってなるし、

「頑張らなくていい」って言われたら

「頑張る以外にどうしろと?!」ってなる。

天の邪鬼だから。笑

 

どちらの言葉が必要かなんて

その時々で変わるのだから

どちらを言っても負担になる可能性がある。

そして頑張っているその人を

否定する事になるかもしれない。

 

 

だから私はどちらでもない何かを

言うようにしているの。

 

 

でもそれは本当は私が言ってほしい

言葉だったりもするのよね。

 

「ほどほどにね」

「大丈夫だからね」

「頑張りすぎないでね」

 

 

私が言ってほしい言葉を人に言っても

その人にとってどんな意味を持つか

わからないし、特になんの意味も持たない

かもしれない。

 

 

でも、私に話してくれた

"その時"だけでも

ふわっと楽になってほしいから、

 

きっとこれからも言い続けるのだろうな。

 

 

 

ほどほどにね。

大丈夫だからね。

頑張りすぎないでね。

 

 

あなたも。