深呼吸、しんこきゅう。

大きく吸って、大きく吐いて。はい、リセット。

どんな自分も、自分。とりあえず自分を許そう。

 

 

意地悪なところがあったり、

我が強いところがあったり、

頑固だったり、

負けず嫌いだったり、

臆病なところがあったり、

頭でっかちなところがあったり、

自信がなかったり、

優しさを持っていたり、

思いやりがあったり、

 

全部ひっくるめて私。

 

あなたも、そう。

 

 

長所も短所も全部全部、自分。

 

 

人は、たった一言では説明できないよね。

 

 

「あの人は優しい」と言われる人でも

負けず嫌いの一面があるかもしれない。

 

「あの人は怖い」と言われる人でも

優しい一面があるかもしれない。

 

いろんな面を持ってるはず。

 

 

優しい人になりたいからといって

優しさ以外を排除する必要なんかない。

 

 

自分も、誰かも。

 

 

人と関わっていくうえで、

自分が得られる相手の情報って

きっとすごく少ないんだと思う。

 

私が知らない部分の方が多いんだろうね。

 

いろんな面があって一人の人。

 

その人が何面もっているのかは分からないけど

私から見えるところだけで判断するのは早いよね、って思ったの。

 

 

自分のこともね、

 

自分のことになると突然厳しくなっちゃう人は

自分的に許せない一面をみつけると

物凄く自分を責めたり、否定しちゃう。

 

でもそこも全部含めて自分なんだって

認めてあげられたら、楽になる。

 

 

急に自分の全てを好きになれって言われても

そーんなすぐには難しいから。笑

 

まず、受け入れることからね。

 

 

大好きな人の小さな短所を

「そういうとこもあるよね~」って見逃せるみたいに

自分の許せないところも見逃してあげてほしいな。

 

 

 

全部ひっくるめて、自分だから。

 

 

 

「逃げ」は「負け」ではない。逃げたっていいんだよ。

 

3月になったね。

 

2月はどんな一ヶ月だったかな。

28日しかないからすごく短く感じたけど

私としてはいろいろすっきりした一ヶ月だったかな。

 

あなたにとっても、私にとっても

3月が素敵な一ヶ月になりますように。

 

 

さて、最近の私といえば

逃げる」ということについて考える事が多いんだけど、

 

「逃げる」ということの線引きは

これまた人それぞれで、ややこしいな~と思ったんだよね。

 

 

都合のいい事を言っているように感じるかもしれないけど、

私は「逃げ」なんてないと思ってるんだよね。

 

ただの方向転換だと思ってる。

 

 

嫌な事から逃げる、とか

仕事が辛くて辞めたのに、それを「逃げ」だと思う、とか。

 

 

純粋に、何でだろうと思う。

 

 

私も過去に「自分は逃げてばっかりだ」と思っていた時期もあったし

気持ちはとてもとても分かるつもり。

 

でもね、仮にそれが「逃げ」だとしても

別にいいじゃん、って思うようになったんだよね。

 

私はね。

 

 

傷付きたくない、自分を守りたい、

そういう気持ちは誰もが持っているものだと思う。

 

 

逃げたって良いタイミングがあって、

逃げるべきタイミングがあって、

 

そのタイミングは人それぞれなんだよね。

 

 

なんなら逃げたからって、

すっきり楽になるかっていったら

そうでもなかったりする。

 

自分を責める気持ちが強い人は特にだよね。

 

 

「逃げてしまった。」

「目の前の嫌な事はなくなったけど

これからどうしたらいいんだろう。」

「結局自分はだめだった。」

 

って、責めちゃったりする。

 

責めなくていいんだよ、と言いたい。

声を大にして言いたい。

 

 

自分を否定する言葉っていくらでも出てくるんだよね。

 

 

例えばこのブログを読んでくれて、逃げたっていいんだ、って

一時的に思えたとしても、しばらくすると

「これは自分を正当化するための言い訳なんじゃないか」って

思い始めたりね。

 

 

でも、実際ね、

 

「逃げ」は「負け」じゃない。

 

 

逃げたから知る感情があって、

逃げた先で見える道があったりする。

 

 

逃げなかったら出会えなかった事、物、人が絶対ある。

 

 

私もいっぱい逃げてきたと思う。

 

でも、逃げて逃げて迷子になったから

知ったことがいっぱいあったし、なにより、生きてる。

 

 

ちょっとくらい逃げたって、なんてことない。

 

 

ただの方向転換。

 

 

自分が逃げる事を許せない強い責任感は、

とてもとても素敵な長所だし、素晴らしいんだよ。

 

でも、その長所を最大限活かす所は別にある。

 

 

自分が活きる場所は、いくらでも探していいと私は思ってる。

 

 

自分が生きる場所は、自分を殺して過ごすことのない場所。

 

 

だと思ってるよ。

 

 

いらないものは手放そう。囚われなくていい。

 

手放せない、何かがある時。

どうしてだろう、と考えてみる。

 

 

手放せないときは手放さない事で得られる何かがある。

 

でも、執着や依存しているものを手放せない時は

得られるものがあったとしてもしんどさはずっと続く。

 

自分の心の状態の底がひくーいままになるから

卑屈になっちゃったりするんだよね。

 

 

どうして、しんどいのに手放せないんだろう。

どうして、自分にとって良くない状態だと思うのに手放せないんだろう。

 

 

そこになにを求めているんだろうね。

 

 

自分を保つためかな。

安心したいからかな。

 

何かを満たすためにそれが必要なんだよね。

 

 

例えばさ、簡単には断ち切れない人間関係

 

私の場合は、なんだけど。

 

誰かと関わる事で、

自分が「愛されている」と思えたり、

「ひとりじゃない」と思えたり、

「必要とされているんだ」と思えたり。

 

誰かと関わる事で自分の存在価値を見出す。

 

だから、繋がりを断つことができない。

 

一人になるんじゃないかと怖くなるから。

 

 

一人じゃないという安心感を得る代わりに

膨大なエネルギーを消費する。

 

自分でも思うけど、なんというコスパの悪さ。笑

 

結局のところ、私は

「愛されたい」という欲求を手放せなかったの。

 

愛されたいから無理して、合わせて。

そして得られる安心感が欲しかった。

 

でも実際は、得られる安心感より

使うエネルギーの方が大きくて

疲れちゃったんだよね。

 

でもね、いざ離れてみると

確かにちょっと寂しさもあったけど

心は少し軽くなった。

 

 

本当はSNSが苦手だったり、疲れたりしてても

辞めずに続けてる人もいるだろうと思う。

 

それも同じ。

 

安心感の代わりに、自分のエネルギーを消費してる。

 

 

「嫌だなあ、、」となんとなく思っているような事でも、

続けていけば思った以上に自分へのダメージになる。

 

小さな小さな苦痛は積もり積もって

どんどん心の重りになっていく。

 

塵も積もれば山となる。ね。笑

 

 

すぐに手放せないのなら、

今は手放すタイミングじゃないということだから

そのままでいい。

 

でも、もしそれを手放したとしても

愛されなくなるわけじゃないし、

ひとりぼっちになるわけでもない。

 

その重りを大事に大事に

あなたが抱える必要はないんだから。

 

 

そんなことしなくったて、

愛されようと無理しなくたって、

大丈夫だから。

 

 

「手放しちゃいけない」と思わないで。

 

いつだって、手放していい

 

 

 

 

 

本も言葉も、出会い。「超訳 ブッダの言葉」

 

 

こないだ、本屋さんに行った時、

ブックカバーの色に目がいって

 

超訳 ブッダの言葉」

 

という本を買った。

こういう類の本を買ったのは初めてだったんだけど、

 

 

この色に惹かれた勢いで買ってみた。笑

 

超訳というだけあって

読みやすく分かりやすい言葉で書いてあった。

 

それでも、過去の私だったら

書いてある事のほとんどが理解できなかったんじゃないかな。

 

 

自分を見つめ、自分を知ろうとするようになったからこそ、

理解できる言葉があって、逆に厳しく感じる言葉もあったんだろうなって。

 

残された言葉に依存するんじゃなくて

一つの御守りとして、心に留めておきたい。

 

やっぱりね、本も、言葉も、出会いだなあと思う。

 

 

一つだけ、刺さった言葉を。

 

自分の心の主人たれ

 

 

そうか、と思えた言葉。

私は今そうなろうとしていたんだ、と。

 

自分の意志で、自分をコントロールできるように。

他のなにかに支配されるのではなくてね。

 

最後のよりどころは自分だから。

 

 

 

心って、自分のものであるはずなのに掴み切れなくて、

計り知れなくて、近いはずなのに遠い感じがしていて。

 

湧き上がる感情に振り回されて、疲れちゃう。

 

そんなのもうやめたいし、

 

 

自分の心の手綱は自分で握りたいよね。