深呼吸、しんこきゅう。

大きく吸って、大きく吐いて。はい、リセット。

自分にかける言葉、改めて見直してみて。結構キツイこと言ってない?

みなさんどうも、こんにちは!

いかがお過ごしでしょうか?

 

 

今日は、『言葉』について語ります。笑

 

私が思う、言葉の大切さ。誰かに、ではなく自分に対しての言葉。

 

 

誰かに言われた言葉で救われたり、傷ついたり。

人と接する以上、どちらもあるけどさ。

前の記事でも書いたんだけど、やっぱり傷ついた言葉の方が

ずっとずっと残って、些細な嬉しかった言葉は忘れがち。

些細すぎて気づかない事もあるかもしれんよね。

 

 

言葉ってすごく力を持ってるのに、

使い方次第、言葉選び次第で与える印象も全然変わるのに、

教えてもらえるわけではない。

失敗したり探ったりしながら身につけていくんだろうけど。

 

でもそれって、どうしても対人。

自分以外の誰かへの言葉遣いだよね。

 

 

自分以外の誰かへの言葉ならいろんなバリエーションを持ってると思う。

 

家族・友達・恋人・仕事

 

仕事なんか特にさ、敬語の使い方とかキチキチに教えてもらったりするでしょ?

 

 

 

でもさ、自分への言葉遣いなんか考えたことありますか?

教えてもらったことありますか?

 

思い返してみても、私は考えたこともなければ教えてもらったこともない。

 

心理学を学んで改めて考えてみたら、まあひどいの。

人に対しては気をつかってつかって疲れるくらいなのに、

自分にはあり得んくらい毒舌。

 

結局、自分の事一番ないがしろにしちゃうんだよね。

 

 

例えばちょっとミスしたら

「ああもう、自分ほんとクズ。」

「消えてしまえばいいのに。」

「何であの子みたいに出来ないんだろう。」

とかね。

 

 

たまにの自己嫌悪なら有りかもしれないけど、

どっちかっていうと自己嫌悪の割合多くないです?

 

『自分の事を褒める』っていうの苦手っていう意識すらないというか

その概念すらないというか。

 

むしろ『自分の事を褒める』ということがいけない事のように

捉えてる人が多いように感じるんだよね。

 

無意識で、自分を傷つける方を選んでしまう。

褒めるだなんて、後ろめたい、自分の事大好きみたいで恥ずかしい。って。

人に傷つけられるより自分で傷つけた方が楽だから。

 

 

でもね、それじゃその傷は癒えないんだよ。

自分でつけた傷が膿んでいることに気づかないままだったら。

 

 

本当は、自分が大袈裟だと思うくらいに褒めたっていいのに。

 

 

自分で自分を傷つけると、どうしても自己肯定感がなくなっていく。

だから、そこを埋めるために他人に認めてもらおうと躍起になる。

認めてほしい認めてほしい、でも埋まらない。

 

埋まらないのは、自分が自分を認めてないからなんだよ。

 

 

もう本当、悪循環でしかない。笑

 

 

底の無い器に水を入れても溜まらないように、

根っこの部分で自分を認めてなかったら、

どれだけの人に認めてもらってもどこか寂しいまま。

 

底を自分で固めてあげられたら、あとは貰えるものを有難く受け入れるだけ。

 

そうなるといいよね。

 

 

私も心理学を学ぶまで気づかなかったから。笑

 

 

小さいことでも、自分を褒めてあげていいんです。

最初は慣れないかもしれないけど。

 

「なんか今日調子いいじゃん!」

「あんまり良いとは言えないコンディションで、よくやった自分!」

 

とかもう何でも。

 

 

一日の終わりに、

「今日もよくやったよ、お疲れさま」って

声に出して言うだけでもいい。

 

 

 

どうか、自分にかけている言葉を改めて考えてみて。

 

どうか、もっと自分を労わってあげてね。

 

どうか気づいて、自分を解放してあげてね。

 

 

 

 

みんな、一日、お疲れ様。明日はもっといい日になるよ。