異常に、言葉に敏感になる時がある。
人が話す言葉も、自分が話した言葉も。
その時の自分は、やっぱり精神的に余裕がない時。
というか、自信がない時。
人と人とのコミュニケーションの中で
自分が望んでいる言葉をもらえるとは限らないし、
相手が望んでいる言葉をあげられるとも限らない。
でもその中で、自分が求めている言葉を知る事がある。
誰かに言われた言葉に、ショックを受けたとして、
「じゃあ、私はなんて言ってほしかったんかな。」
と、自分に問いかけてみる。
「言われたかった言葉」ってやっぱりあるんだよね。
意識してなくても、ある。
何で、その言葉が欲しかったのか。
掘り下げていけば、自分が求めている感情に気づく。
「大丈夫だよ」と言って欲しかったとしたら、
それは肯定感や安心感が欲しいのかもしれない。
どうして、それが欲しいんだろうね。
今、不安なのかな。
今、自分を責めてるのかな。
だから、誰かの「大丈夫」がほしいのかな。
「大丈夫」の意味を込めて「頑張れ」って
いってくれる人もいると思うんだけどさ。
嘘でもいいから「大丈夫」が欲しい時もあるよね。
でも人に求める分、思い通りにはいかないんだよね。
大丈夫、自分が欲しい言葉が自分で分かったら、
自分で言っちゃえばいい。
欲しい言葉を
声に出して、
紙に書いて、
頭の中で繰り返して。
自分に刷り込んでいくように。じわ~っと。
ただ、不安を感じるのはなにも悪い事じゃないよ。
でもその感情に支配されないでね。
誰でも、自分の中に自信の種を持ってるから。
どんだけ些細な事でも、過去に「できた事」はある。
ブログを始められた、とか
本を一冊読み切った、とか
部屋の片付けできた、とか
なんてことないような事に思うかもしれないけど、
それは間違いなく自分が「できた事」。
小さいも、大きいも、同じ。「できた事」。
それは全部埋もれてしまっている自信だよ。
その自信に気づいたら、活かせる。
だから「自分なんかなにもできない」は違うんだよ。
忘れないでね。