「できない事」はしなくていい。
しない自分を許していい。
私の場合を例にしてみるね。
「馬鹿騒ぎできない」
「何においても手を抜くことができない」
などなど。
「できない」と思っていること、
結構あるよって人もいると思う。
「できない」という言葉は
自分にとって苦手な事だと認識しているからこそ
出る言葉じゃないかなと思う。
でもこれ、
「できない」の部分を「しない」に変換してみて?
馬鹿騒ぎ「しない」
何においても手を抜く事は「しない」
ふっと心が軽くなりません?
わたしはこれを心理学の勉強してる時に、
学校でワークとしてやったんだけど、
「あ、できないじゃなくて、しないんだ~」
って思うと楽になったんだよ。
「できない」自分を責めてたけど、
「しない」んだから責める必要ないじゃん、って。
それまではずっと、
なんでみんなと同じように騒げないんだろう、
ノリ悪いと思われたくない、でもできない、、。
って思ってたんだけどね、
いいのいいの!しなくていいの!笑
「馬鹿騒ぎしない自分」を許す。
それでいいよ、と。
実際さ、「馬鹿騒ぎできない自分」は
他人からの目を気にした結果生まれたもの。
私が私らしくいたらだめなんだ。っていう気持ち。
だから心から
「私もみんなみたいに騒ぎたい~!!!」って
思ってたわけじゃないんだよね。
本当は騒ぎたくもないけど、
合わせてた方がいいんだろうな、って。
そんなもん、しなくていい。
しない。
本当に騒ぎたい時が来たら、騒ぐ。
それでいいじゃんね。
「何においても手を抜くことはしない自分」
え、別に何も悪くない。笑
むしろちょっとかっこよさすら感じる。笑
手を抜くことが「できない」と思うのは
手を抜くことが正解だと思っているから。
ちょこちょこ手を抜くことが正解な人もいるだろうけど、
私にとっては正解じゃないんだよ。
私にとっては「手を抜かない」事が正解。
「できない」を「しない」に変えたことで
気付いた自分の正解でした。
私の場合でお話したけども、
言葉を少し変えるだけで、感じる気持ちは違うんだよ。
しなくていい事を「できない」と思い込んで
心をすり減らすのは勿体ないから。
「できない」を「しない」に。
やってみてね。
心を楽に。